負のスパイラルに陥っていたあの頃…

今日はちょっと、ぐれてた頃の私の話を書いてみようと思います。
前にも書いてたことがあるかもしれませんが、新しい読者の方々も増えてくださっていると思うので、改めて…

たいてい、「昔金髪だったんですよ」と言うと驚かれます。
長い付き合いの友人に言わせると「ずいぶん落ち着いてよかったね。」なんて言われたりもして。
最近知り合った方からすると、想像できないかもしれませんが、(想像できるって言われても複雑ですが笑)丁度10年くらい前の私は、かなりすさんでいたし、不幸だったし、やる気もなかったし、見た目もひどかったんです。

それは、鍼灸マッサージを学ぶために入った盲学校時代の4年間のお話です。

それまで大阪の音大で、自分のやりたいことを自由にしながら楽しんでいたのに、滋賀へ帰り、盲学校に入って、閉鎖的な空間で生活することになり、全く興味のない解剖学とか生理学とか東洋医学とか、わけのわからないものを勉強するはめになり…
まだ音楽をしたくてしょうがないので、学校が終わったらすぐにトロンボーンをかついで、大阪へ行ったりもしてました。
そんなんだから、1年生の1学期の成績で、生まれて初めて欠点を撮ったんです!
解剖学が「1」

このときはじめて知りました。
欠点=赤点の「1」は、本当に赤字で書かれるのだということを(苦笑)

赤点なんて、アホが取るもんだと思っていたのに、まさかこの自分が?
というどうしようも受け入れがたい事実から目を背けたくて、たぶん夏くらいから(いや、それまでからだったかもしれませんが…)なんとなく人の道をはずれて行ったように思います。

髪を染めるって、最初はすごくどきどきしていたのに、不思議なもので、どんどん明るくなっていく色が、普通になって、もっともっと明るくしたい、と思ってしまうのだけれど、それがどれくらい明るい色なのか?ということが、客観的に自分でわからなくなるんです。
弱視だから?
それもあるかもしれないけど…
いや~たぶんそれだけじゃないと思うんですよね~。

あるとき駅のホームで、少し離れたところにいる女性を指さして、友達が「よりさんの頭はあのくらいの色やで」と言いました。
その女性は、どう見ても金髪だったので
「えぇ~あそこまで黄色くないわ~」
と言ったら
「いやまじであれくらいやって」
と、言われても、まだなお信じられず…
この事実に気付いたのは、何年か経って髪の色が落ち着いてから、当時の写真を見たときでした。
あ、本当に私金髪だったんだ…
と、そのとき初めてわかり、驚いたのですが、時すでに遅し…

色なんて、一目瞭然だし、わかりそうなものなのに、知らないうちに濃い味が好きになるのと同じように、色も徐々に変わるとわからないもの、だということを知ったのでした。

それに、そのことに気付かないくらい、自分の身体に対して無頓着だったし、なんにもわからないまま、ただただ辛さだけを感じて生きていたのかもしれません。

当時は肩こりもひどく、肩がこって痛すぎて寝込んでいたこともありました。
背中が痛くて、椅子の背もたれの角でぐりぐりして、それでも痛くて辛かった記憶もあります。
寝つきが悪かったり、夜中に目が覚めてしまったり、逆に朝起きられなくてぐずぐずしていたり、朝ご飯は食べられなくて、好んで食べていたものは菓子パンだったり。
胃が痛くなって極端にごはんが食べられなくなって、10キロも痩せてしまったり、便秘と下痢を繰り返し、おなかがいつ痛くなるのか?という不安を抱えていたこともありました。
生理痛もひどくて、薬が手放せなかったり、生理前後は精神的に乱れ放題で、周りの人やものに当たり散らしていたり。
風邪もよくひいていて、そうでなくてもずっと体がだるくて、重くて、しんどい感じ。
そうそう、どれだけ泣くのだろう?というほど、しょっちゅう泣いてました。
悲しさ、辛さ、苦しさを、どう対処していいかわからず、とにかく「泣く」ことで、とりあえず発散していたのかもしれません。
お酒の量も多くて、毎週末(週中は寮なので飲めなかったのです)飲んで帰り、家に帰っても結構飲んでた気がします。
そんなんだから頻繁に病院にもかかり、お薬も色々飲んでました。
それでも何も変わらず…
学校もよく休んでいたものだから、担任の先生から「あと2回休んだらアウトやで」とくぎを刺されていたりもして。

ちなみに当時、20歳~24歳。
今思うと、貴重な20代前半を、ひどい状態で過ごしていたのだな、と思います。

ここまで書いてみて、あらためて、私とんでもなく、どうしようもなく、自分の心と体がバラバラで、自らどんどんひどく、深みにはまっていっていたんだな、ということに気付きました。
リストアップしてみると、おそろしいほどたくさんの症状が出ていて、いかに不安定な状態だったかがわかりますね(汗)

身体の勉強をしに行っていたはずなのに…

何度も何度も学校を辞めることばかりを考えていて、ここから脱出できれば、きっと明るい世界が私を待っている、と思っていました。

当時はまだ今より見えていたし、仕事をする大変さも知らなかったので、なんとかなる、と楽天的に考えていたのです。

現実から逃避したくて、お酒を飲んだり、夜更かししたり、甘いものばかり食べたりすることで、身体のバランスが崩れて、筋肉のコリになったり、消化器系の不具合が出たり、不眠になったりして、だから余計に精神的に不安定になり、生活が更に乱れ、体調不良が深刻になり、そしてもっとネガティブな感情が生まれてしまい…
こんな負のスパイラルに陥っていたんだな、ということが、今だったらわかるし、どうすればよかっただろう、なんてことも、今だったら考えることができるけれど、当時の私にはさっぱりわからなかったんです。
実はこの負のスパイラルは、卒業してからしばらくも続いていました。
と、言うよりも、この3・4年くらいの間にようやく抜け出る道を見つけることができた、という方が正しいかもしれません。
まだ最近、の話です。

それだけ、一度心身のバランスを崩すと、立ち直るには時間がかかるし、痛み止めを飲んで痛みが消えるような、劇的な変化はなく、徐々に変化していき、あるときふと気づいたら、そのスパイラルから抜け出ることができていた、というような、とても長く地道な道のりなのだけれど、一度抜け出る道を見つけることができれば、その過程はとても楽しく、決して長いもの、とは感じないという経験もできました。

なので、ある意味、あっという間に変わっていた、ように感じるかもしれません。

先日、知り合って4年程立つ方からメールをいただきました。
そう、丁度私が、スパイラルから出る道を見つけ出した頃に出会った方です。
その、すさんだ私と変化していく私を知ってくださっている方に
「素敵な女性になったね」
と、言ってもらったのです。

泣きました。

良かった。と、思いました。

今の私は、肩こりとか、おなかの不調とか、精神的な変化とか、全くないわけではありません。でも、大きく崩れることはなく、自らの心身が心地よい状帯をキープできていると感じています。
ずっと、ニュートラルでいることなんて不可能だから、ぶれてもいいんです。
おいしいものをいっぱい食べることも、お酒をたくさん飲むことも、くたくたに疲れること、イラッとしちゃったり不安に感じることもあるけれど、そうやってちょっとぶれたものを、心地よいところに調整することができているから、幸せを感じているのだと思います。

最近ようやく、
「昔の私は、あれはあれで一生懸命だったのだし、今思うと結構かわいいじゃないか。」
なんて、思えるようになりました(笑)

身体も心もこんなに変化する可能性を持っているものなのだ、ということを経験できたことは、鍼灸マッサージやエステティックという仕事をする上でも大きな糧だと感じています。
次は施術やセミナーを通じて、私が関わる人たちが、心身のパフォーマンスを最大限に生かしていただけるような、そんな化学反応を、起こしていける存在になりたいなって思っています。。

こんなより子ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします(⌒▽⌒)


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