フィルターを通して観る世界

とらや

2014年11月21日 22:25

この半年ほどの間に、私の愛読書となった「嫌われる勇気」の著者である、岸見先生が、最近様々な雑誌で記事を書いておられます。
ちょっと難しい経済な感じ?のものから、20代女性向けの有名雑誌まで、その幅の広さに驚くと同時に、これだけアドラー心理学の素敵な思想が、今多くの人から必要とされているのだなぁ~と思うと、なんだか自分のことのようにうれしく思います♪

しかしながら、私は自分の力で雑誌を読むことができない。

毎月毎週のように多くの雑誌に先生の記事が載っていて、読みたいなぁ~と思ってはいたけど、なかなかとっつくことができなくて…

でも、先週なんか急に、「雑誌を買って帰ろう」とひらめき、本屋さんへ行って、そのとき発売されたばかりと伺っていた雑誌を購入。
帰ってから、お母さんに読んでもらいました。

その後もう1冊購入、これは、友人に読んでもらいました。

そこで私は、不思議な感触を得ました。

まずは、いつも愛読している、嫌われる勇気で書かれている内容が、読者やテーマのコンセプトが違う雑誌で違った表現で文章になっていることで、また違った角度からアドラーを感じることができました。
特に、先生が直接書かれた文章ではなく、編集者さんの視点でまとめられたものは、女性的な丸みが加わっていたり、先生が普段使われない言葉が使われていたりして、変化球を受けたように、思わぬところから落とし込めたりと、文章っておもしろいなぁ~と思いました。

そしてもう1つ、お母さんに読んでもらうのと、友人に読んでもらうもの。
読んでもらったものが違う、というのもあるけれど、読み手が違うと、文章の印象がまたごろっと変わるんです。
岸見ワールドを、編集者の方のフィルター、そして読み手のフィルターを介して読んでいる私は、自分の目で読んでいる人よりも、1つ多くのフィルターを使っているのだなぁ~と感じました。

読めないから読まなかった、というのは、アドラー的に分析すると、読みたくないから読めないことを理由にしていた、という風になります。

私は今までそういうことがすごく多かったな、と最近気づきました。

今回は、読みたいから読む方法を探しました。
みんなのように沢山は読めないし、いつでもどこでも読めるわけではないけれど、だからこそ、たった1度読んでもらえるその瞬間を、真剣に楽しみたい、と思うのでした。

実は更にもう1冊雑誌を買って居て、カバンの中に待期しています。
さて、これは誰に読んでもらおうかな?


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