福場将太著『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』を読みました。
タイトル通り、精神科医であり視覚障害者である著者が書かれた本です。
著者の福場さんは大学生の頃に網膜色素変性症であることを診断され、10年ほどの間に失明されました。
私と同じ病気だったことに加え、20代から30代にかけて視力が落ちていったというところがリンクして、共感を得ながら読むことができました。
その前に、この本を教えてくれたのは高校時代からの友人でした。
まず私の病名を覚えてくれていたことに驚きました。
私は小学生の頃に診断を受けていたので、友達と出会った頃にはすでに弱視でしたが、あまり病気について話した記憶がなかったのです。
網膜色素変性症という病気は少しずつ視力を失っていくという特徴があります。
著者のように10年ほどで失明されるのは割とまれなことで、多くの人はもっと長い期間を経て進行していくことが多いのではないかなと思います。
私も診断されてから文字が読めなくなったり白杖なしで歩けなくなるまでには20年以上の時間がありました。
そうして本当にわずかずつ変化していくので、実は本人も自分がどれくらい見えているのかを理解することが難しかったりします。
本人が分からないのだから、周囲の人たちはもっと戸惑うことと思いますが、この友達はいつも自然に私に必要なサポートをしてくれていました。
これってすごく大変なことだし、ありがたいことなのに、その優しさを当たり前のように受け取っていた自分に、今になってとても反省しています。
そしてこうして病名を覚えてくれていて、本を薦めてくれたことが、とてもうれしかったのでした。
本の話に戻りますが、著者の福場さんは、視覚障害者としての視点と精神科医としての視点から、見えなくなっていく中での葛藤や気づきを綴ってくださっています。
中でも私が印象的だったところは、見えないから見えてくるものがあるというところでした。
福場さんは音やにおい、触覚など視角以外の感覚をフルに使って楽しんでおられます。
私は見えなくなってから、きれいな絵も景色も、かわいいキャラクターも色合いも、おいしそうな食べ物も、何も感じられなくなってすごくつまらないなと思っていました。
きれいな青空を、美しい絵画を、おいしそうなスイーツを、今はやりのファッションやメークを、見えたらいいのになと思いながら、未練たらたらに生きています。
でも福場さんは違うのです。
一つ一つの音に耳をすまし、手の感覚を総動員し、『今』の喜びを見つけておられる。
そんな印象でした。
きっとここには書かれていないご苦労がたくさんあることとは思いますが、福場さんのように楽しさを探究することができれば、見えないこともまた自分なのだと、気持ちよく受け入れることができるのかもしれません。
私はまだその境地にはたどり着けそうにありませんが、それもまた私なのだと思いながら、わずかに感じる光を頼りに生きていこうと思った読書でした。
自分とは違う考えに触れることができる読書。
次は何を読もうかとわくわくしています
本日も最後まで5拝読いただき誠にありがとうございました(m_m)
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